3月1日から長崎県壱岐市の椎名隼都(しいなはやと)君17歳が行方不明になっていることがわかりました。椎名はやとくんの里親や両親そして失踪した経緯について調査していきます。

椎名隼都くんの義理両親「子どもが多すぎてストレス爆発か」
椎名隼都くんの義理両親は、長崎県壱岐島里親との暮らしというYouTubeに映っていました。
そこには、椎名隼都くんらしき人物も映っています。

椎名隼都くんの里親は齋藤さんというそうです。京子さんと智之さんという夫婦が里親として活動しているそうです。
これは4年前の2019年に撮影された様子です。この時は、自分の子ども5人と里親プロジェクトで迎え入れた4人の9名の子ども達がいたようです。9人の子ども達を育てるとなるとかなりの労力が必要になると考えられます。

椎名隼都くんの里親で父親代わりの智之さんはラジオ番組のDJをしているようです。

実際のYouTubeがこちらです。いきっこ留学2019
壱岐市役所が作成した動画のようです。
Youtubeは、今回の事件で削除されました。
追記:里親の男性は、虐待行為に関して完全に否定していました。椎名隼都くんは中学3年生の時にすでに自殺願望があったということです。何度か話し合い、考え直せなどと言い一度ビンタをしたとテレビの取材で話していました。台風のかで子ども達を叱ったなどいう逸話もありましたが事実だそうです。スマホの使い方などに関して実の子ども達も交えて一緒に叱ったという。叱ったことなどについては、実親さんに報告しているそうです。どこからが虐待と分かっていないのではないか。自殺を考えるほど里親との生活に何か不満があったのでしょう。
追記:3月20日に発見された壱岐市の沖合で見つかった男性の遺体が、長崎県立壱岐高校2年の椎名隼都くん17歳であることが確認されました。遺族は捜索に協力した関係者への感謝の意向を示している。食事が少ないに対して、Aさんは妻にもっと食べさせるように指示。しかし、これだけの人数がいるから作るの大変だし金がかかると叱られたそうです。ミートボールが25個で1人3個しか食べられな状況。好きなだけ食べろという方針だと言っていますが、おかわりなどし辛い雰囲気だった可能性が高いですね。
「妻には『子どもたちにはたくさん食べさせてあげてよ』と伝えていましたが、『これだけの人数がいると大変なんだよ』と叱られちゃったりもして、8万円でやりくりするんだから苦労をかけるよなという思いでいました。
文春では“おかずが少ない”という話も出ていましたが、たとえばミートボールが25個あるとして、『みんな3つずつだけど、足りなければパンがあるよ』とか『どうしてもミートボールがもっと食べたいなら分けるよ』というふうにやり取りして調整していくのがうちの食卓です。その輪に加わらず、『ゲームがしたいから』とすぐ部屋に戻るような子も過去にはいましたが、私自身は『好きなだけ食べろ』という方針
https://news.yahoo.co.jp/articles/54f57278c482d319f9ffec3671e85be175b7fbdb
しいなはやとくんの里親の自宅
しいなはやとくんの里親の自宅について調査していきます。
里親の自宅についてもYouTubeに映像として撮影されていました。
下記画像が里親の家となります。
この家に11人も住むとなると狭いよな気がしますね。

椎名隼都との両親「茨城県在住か!?」
椎名隼都くんは茨城県の出身だそうです。
もともとは茨城県に住んでいた。
しかし、里親に子どもを出すくらいですから転勤族の可能性も捨てきれません。
椎名隼都くんが自ら壱岐に行きたいといった可能性もあります。
椎名隼都くんの意志を尊重したのであれば茨城県に住んでいる可能性は高いと考えられます。
現時点で実の両親がどこにいるのかはわかっておりません。
引き続き調査していきます。
失踪したのは椎名隼都君(17)。椎名君は茨城県出身で、中学2年生の時に来島。“里親”であるAさん宅で生活しながら地元の長崎県立壱岐高校に通っていた。
https://bunshun.jp/articles/-/61327
椎名隼都くん失踪までの経緯「別の高校生も虐待で家でしていた!」
3月1日から行方不明になっている離島留学生の椎名隼都(しいなはやと)くん17歳。現在も見つかっていないようです。
3月1日からの島の状況や椎名隼都くんについて調査していきます。
行方不明になった3月1日当日は、島内放送で名前や椎名隼都くんの特徴について放送があったようです。
連日放送は繰り返され消防団による捜索活動が行われいました。
3月1日は、大雨という悪天候
3月2日はとても寒い状況だったという。
3月3日、4日は比較的に暖かい気温だったそうです。
椎名隼都くんは、携帯電話を所持しておらず、所持金はわずか1000円で服装は軽装だったという。
3月1日の天気は雨。
そんな中、椎名隼都は里親の家から失踪したそうです。よっぽどの理由があったのではないでしょうか。
Facebookでは壱岐というグループがありそこに椎名隼都くんの顔画像を投稿したそうです。
しかし、1日も経たずに何者かによって画像が消されてしまったそうです。
行方不明で天気は荒れているのに一刻も早く見つけ出してあげなければいけない状況。
そんな背景もありながら何者かによって顔画像を削除されてしまいました。
どこから圧力でしょうか。闇が深い…

はやとくんが失踪する2か月前に同じ里親にお世話になっていた高校1年生から「もう家(里親の家)に帰りたくない、壱岐から出たい」と助けを求められたという。高校1年生の彼は、里親の家に帰りたくない一心で、学校に夜中まで立て籠ったりしていたという。週刊文春の報道では虐待があったとされています。虐待行為を恐れて里親の家に帰りたくなかったのだと推測できます。
高校1年生を引き取った人によると、本当の両親と繋がりがあり事情を説明して自分の家に来るように伝えたという。緊急性が高いと判断したようです。高校1年生の実の両親も協力しスピード引っ越しを実現させたそうです。目の前で苦しんでいる子どもがいるのに見過ごせないと正義感あふれる対応をしています。
引き取った高校1年生の彼に話を聞くと、耳を疑うような話ばかりが上がってきて里親を知っていることもあり、そんなはずはないと話半分で聴いていたという。

失踪してから9日目は大雨だったそうです。そのような天気の中、はやとくんは元気にしているのでしょうか。
警察や消防、島の人達が捜索しているそうです。
また、Facebookに椎名隼都の画像を投稿したら削除されたようです。
命よりもプライバシー?またまた何か都合が悪いことがあり隠蔽している?可能性もあります。

椎名隼都くんの行方不明になった理由「我が家のルールは絶対!郷に従え」
椎名隼都くんが行方不明になった理由について調査していきます。
椎名隼都くんが行方不明になった理由については週刊文春が虐待と報じています。
里親が虐待行為に走った理由があるのではないかと考えられます。
Facebookの投稿に「これがウチのやり方だ!郷に入っては郷に従え!我慢しろ!」と無理やり何かを強制させていた言動があったようです。子ども達の意見を反映させないような仕組みになっていた可能性が高いです。
子ども達から里親を変えてほしいという要望があっても自分で選んだことなんだから我慢しろというスタイル。
実親(両親)と里親で解決するという流れになっているそうです。
離島留学生度は「子どものための制度」なのに子ども達は、里親を変更する権利などはないようです。

椎名はやとくんの容姿「やせ細り肌荒れが酷かった」
椎名はやとくんの容姿について調査していきます。
3月9日にTwitterである情報がありました。
椎名はやとくんと同じクラスに通う子を持つ保護者の方です。
椎名はやとくんと久しぶりあった時、痩せて肌もかなり荒れていたという。
思春期の肌荒れなのかストレスの肌荒れなのかわかっていません。
里親に問題があっても学校側からは意見ができないようです。
里親の機嫌を取るしかできないそうです。
親元から離れ離島留学している子供たちのケアはできていないようです。

椎名隼都の里親は金目当て?「7人受け入れ月56万の収入を得ている」
椎名隼都くんの里親の家には7人の子ども達を受けいていたという。
一人当たり8万円が里親に支払われるそうです。
壱岐から4万、実の親から4万円の合計8万円が支給されます。
8万×7人=56万円となり、年間56万×12=672万円です。
これだけでも成人男性の給料を以上にもらっているでしょう。
さらに、里親の給料を足すと推定で1000万は軽く超えると考えられます。
子ども達がから収入を得ているのにも関わらず虐待行為をしているのは怖すぎます。

壱岐市の別の里親さんの家では8人の子ども達を受け入れていたそうです。育ち盛りの高校生がいるのにも関わらず
お惣菜や冷凍食品を食べさせていたという。留守番を子ども達に任せて夕食も与えない日もあったそうです。
ある日の食事について写真を撮っていました。これは3人分の食事です。
お惣菜にお稲荷さん4個と巻きずし2個たったこれだけです。
休日は、朝は菓子パン昼はカップ麵が多かったそうです。
質素な食事をしていることがわかります。

里親プロジェクトで支給される8万円では少ないのか
それとも自分たちの欲の為にお金を使っているのかは現在のところ不明です。

壱岐市の沖合でボーダー柄でジャージのズボンを履いた遺体を発見!

3月20日昼前、長崎県壱岐市の海岸で男性の遺体が見つかりました。遺体の服装から捜索願が出されていた椎名隼都さんではないかとみています。
隼都さんは身長約175センチで痩せ型。白と紺色のボーダー柄のセーターと、紺色のズボンを身につけていました。
遺体は、白と黒のボーダーのセーターに紺色のジャージのズボン姿で茶色の靴を片方履いていたそうです。
椎名さんは紺色のボーダーですが、おそらく海で漂流している間に変色したのでしょう。
遺体は一部白骨化していました。
椎名隼都さんが行方不明になったのは3月1日です。
椎名隼都さんは茨城県出身で離島留学制度を利用して壱岐市の里親へホームステイををしていました。
椎名隼都さんの服装と発見された遺体の服装が酷似しているそうです。
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